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ノート:J-9 (航空機)

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内容について

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どうもFC-1_(航空機)の内容と折り合いが悪いようです。あちらによればソ連の「33」(または「41」。ジェーン年鑑では「MiG-33」と呼んでいる)はFC-1になったようですが、こちらにはJ-9は~~ロシアのMiG-33の国産型制空戦闘機である。となっていますね(うーん、日本語として「J-9は中国の戦闘機」で「ロシアのMiG-33の国産型戦闘機である」って、文章がおかしい気がします)。それから、計画はJ-8の計画と平行して行われた。しかしJ-9計画は、より高性能な戦闘機JF-17の開発が開始されたため、1980年に中止となった。とのことですが、J-9はいつから開発がスタートしたのですか?「33」は1980年の時点で中国に輸出される予定はありませんでしたし、まだバリバリのソ連空軍用戦闘機として開発中だった時期です。事実関係を混同していないでしょうか。--ПРУСАКИН 2007年11月5日 (月) 16:26 (UTC)[返信]

1.中国人民解放軍空軍や、Template‐ノート:中国人民解放軍空軍で再三記述したようにFC-1の別名であるJ-9というのはいわば二代目であり、瀋陽/成都が開発したJ-9はこの機体です。従ってFC-1_(航空機)の内容と折り合い以前に当機はFC-1や41とは全く無縁の機体です。ちなみにSu-30MKKをJ-13、中国の次世代機をJ-12と呼ぶ事もありますがJ-12、J-13は別の機体があり、Su-30MKKのJ-13も二代目、次世代機はJ-XXです。
2.開発時期は計画はJ-8の計画と平行して行われたで概ね問題ありません。上記リンク先の記述では『双発戦闘機案には殲撃8、単発戦闘機案には殲撃9の名称が付与され、殲撃8の初飛行は1967年を目標とすることが決定された』、『殲撃8の早期完成が優先されたため、瀋陽の開発陣の主力は殲撃8の開発に投入され、余力を以って殲撃9の研究開発を行う事とされた』、『殲撃9の開発は、殲撃8の開発が優先された事と文化大革命による混乱が深刻化した事を受けて、1969年11月まで一時中断された』、『殲撃9の設計陣は、1965年から本格的な検討を開始』とあります。
3.出典についてですが恐らく戦闘機年鑑 イカロス出版を始め、J-10の解説にこの程度の情報は記載されています。この説明文は、その辺りの本+MiG-33(41)の記述(ジェーン年鑑等)といった所でしょうか。加えてその本は恐らくJ-9(初代)とFC-1を混同している可能性が高いです。日本語の本は結構混同しています。--ButuCC 2007年11月7日 (水) 08:26 (UTC)[返信]
(蛇足)そういえばMiG-33然りSu-37然り共産圏の機体は同じ番号を再使用して紛らわしいものが多いですね。注意が必要です。--ButuCC 2007年11月7日 (水) 08:30 (UTC)[返信]

私もそんなことだろうかと思っていました。もしよければ、適切な形にページを修正していただけますか? 私は中国のはよくわからないので。

(蛇足)あまり名前のリサイクルはしないでほしいですよね。--ПРУСАКИН 2007年11月7日 (水) 15:31 (UTC)[返信]

修正してみました。ただ外部リンク先の説明を100%参考にしているので著作権の問題が心配です…--ButuCC 2007年11月10日 (土) 05:51 (UTC)[返信]

文章が一致していなければ大丈夫だと思いますが、私も著作権は苦手です。ただ、内容は事実関係の叙述であって創作物ではないと考えれば、内容そのもの自体については著作権は関係ないでしょう。--ПРУСАКИН 2007年11月10日 (土) 06:18 (UTC)[返信]